日本実践空手道 英真会

 愛と平和な西新宿な日々 と 高円寺の夜
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    諸行無常
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       ムエタイの選手が試合始まる時頭につけてるモンコンを取る時 セコンド 「師匠」 は こう言っている。

       ブッダ サラハム ガッチャ−ミ…

      パーリ語である。 意味は 私は仏陀に帰依します  という意味だ。

       知り合いの坊さん チンナワンソが24日亡くなった。  去年会った時 間違いなく死ぬとわかっていた。 


       チンナワンソとの出会いは 弟 桂三が死んだ事がきっかけだった。

      弟は 山口組 五菱会 梶山進の秘書をやっていた。 このことはミクシーで一年にわたり書き続け 雑誌にも掲載された。 その辺は 夜明けのスキャット という題名で書いているので興味ある人は読んでみるといい。

       桂三が亡くなって一ヵ月後俺は タイ メソットへ飛んだ。


      金は 桂三が亡くなったとき遺骨を引き取りに言った時 親父から100万預かった。 その金は返してない。 桂三をの事調べル為 資金が必要だった。 その年 交通事故にあい 保険金で100万近くおりた。


       その金もすべて調べる為に使った。 後の金は 鳶で必死こいて稼いだ金。

       全身全霊を込めて戦う事を決意した。 最悪死ぬ事も覚悟した。


       メソット在住のSさんという自宅に尋ねていった。 そのとき偶然メソットにある難民病院 メタオクリニックで ボランテイアで働いていた

        藤川さんという医者と出会う。

      すべてが行き詰っていた。 本当に絶望という言葉が見に染みた。

       そのときこんな話を聞く。

      タイでは 坊主は絶対権力  タイ国王でさえ坊主の前では 頭が上がらない。

       一人日本人でタイで坊さんやっている人がいる。 会って見ては?

       
        その坊主は一冊の本を出していた。


       その本が「タイで おもろい坊主になってもうた」 という本である。

      この本は非常に面白く一気に読んでしまった。 実際この本を書いている人は チンナワンソではない。 小川秀樹さんという人である。

       元ネタは もちろんチンナワンソである。



      この小川秀樹という人が最初に「 おもろい坊主を囲む会」 を作った人でもある。



       この本の売り上げで ミャンマーのメチュラという場所で 日本語学校を設立する  メッテイーラ といっているが実際の発音は メチュラである。

       もう一人関わった人物がいる。 それが 帝銀事件の弁護士で有名な

      遠藤誠弁護士である。 人権派弁護士で 日本の法曹界では 名の知れた人でもある。


       その本を読んでチンナワンソに メールを送った。 返事は早く今度日本に 行くからそのとき会おう


       ということになった。

       桂三の事で頭を抱えていた時期でもあり 俺は迷える子羊だった。

      実際会ってみて 本当にはなしやすく 真剣に話も聞いてくれた。

       うれしかった。 本当にうれしかった。 チンナワンソにたのんで タイ暗部まで 付き合ってくれる と約束してくれた。

       最初の頃の「 坊主を囲む会」 にも 足を運んだ。

      あの当時はまだ 発足間もない頃で 今見たいな人は集まっておらず 質素が 会だった。

       一番最初の メソットでも供養はチンナワンソが来てくれた。

       俺が本来なら行く予定が 最後の 空手の大会 全日本ウエイト制大会が あるためいけなかった。

       桂三の事調べる為 空手をやめる決意をしていた。 本当の理由は 桂三を追い込んだ人物を俺が所属していた団体がかくまっていたため

      そんな奴らとは 同じ道を歩むことはできない。 と思いやめる決意をした。

       本来なら一生極真空手にささげる気持ちでいたが 無理だった。

      空手そのもの嫌いになり何もかもが信用できなくなっていた。


       その大会の俺のブロックには 正道会館 ロシア というものすごいデスブロックだった。

      しかも二回戦目の相手は 前回世界大会出場者 ダルマンであり 本当に 眠れない日々が続き 悩んだ。 悩みになやんだすえ根性をきめて

       ストップ ザ ロシアを決行した。 最後の恩返しと思い覚悟をきめた。


       ダルマンに 勝ったとしても次は正道会館の軽重量のチャンピオン 外岡だった。


       俺の技量では ダルマンに勝つことは出来なかった。こうなったら最後の作戦 人柱である。少しでもダメージを与え次の試合を 負けさせようと決めた。

       作戦は成功 俺はダルメンに負けたが ダルメンは 次の試合 外岡に負けた。  外岡は その次の試合で負けた。

       これで最後の試合と 心に決め 少しは 役にたったのかな とおもい 極真空手人生を 終えた。


       しかしその年の無差別全日本で ダルマンは入賞してしまった。
      俺は 正直がっかりした。


       それからの日々は 桂三の事で調べまわった。
       
      資料がそろい準備が整ったら 今度はタイに乗り込む覚悟を決める。


       http://eisinkai.web.fc2.com/


      | tosiyosi | 諸行無常 | 11:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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