日本実践空手道 英真会

 愛と平和な西新宿な日々 と 高円寺の夜
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    諸行無常 4
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           チンナワンソと小川氏の関係を俺が知っているだけでも書きたいと思います。

       はじめは とある会社の社長の紹介でチンナワンソを紹介されたそうだ。


       面白い人がいる。 ということで この坊さんを日本で紹介させたい

      有名にして仏陀の知恵をすこしでもひろめさせたかったようだ。

       小川氏は 物書きだ。  本を書いてチンナワンソを少しでも動きやすくさせたいが為書いたと聞いた。

       本の印税はすべて喜捨するという考えにおちついたようだ。

      僕の考えだが これは失敗だったと思う。 著者 小川秀樹にしておけば その後の仲違いは防げたように思える。

       印税をしっかり受け取って あまったお金をチンナワンソにしかり喜捨しておけばよかったような気がします。

       チンナワンソは元商売人 会社も経営していた。


      会社を経営して名前を表に出せば 責任という言葉が生じます。


       チンナワンソは 表に名前を出す ということにしっかりと責任は持っていた。


       旗から見て それちょっとちがうのでは? と何度も思ったが

      そういう所はしっかりしていた。

       しかし仏教の僧侶としては 失格であることは間違いはない。

         男としての責任はちゃんと持っていたように思える。



      それから月日が立った。   俺もそろそろ桂三の事について追い込みを掛けようとしていた。

       小川氏に相談した所 チンナワンソに一緒に頼みに行ってあげる。



       といってくれた。

      チンナワンソは 承諾してくれた。


      次の2月もう一度メソットに 行くと約束したが チンナワンソは メソットではなく 東京に帰ってきてしまった。

       タイを引き上げてしまった。


       正直愕然とした。 それから俺は本格的に覚悟した。 自分の力でやろうとした。


       小さい頃から 仏教もしくは 宗教関係からなんどもうらぎられてきた俺は やはり肝心な時は 逃げるのだな とおもった。

       これは チンナワンソガ悪いのではなく 他人の力をつかってやろうとしていた俺が悪かったと思う。


       一時期は チンナワンソは 俺をしっかりサポートしようとしてくれたのも事実


       しかし何度もおれは やってはいけないこと何度も繰り返したりしていたので向こうもついていけない とおもったと思う。

       桂三の事で 俺は何人もの人間に迷惑掛けた。

       なかには 少しおかしくなった人もいる。

      しかし結果的には チンナワンソの行動は俺に関しては間違えてはなかった。

       チンナワンソの代わりに一緒に行ってくれた人達が 思った以上の行動を起してくれた。


       ムエタイ関係者たちである。  一人の日本人の紹介で 元UWFインターの タイ人コーチ ボーイ チョーワイクンが タイ人にしか出来ないことをしてくれた。

       感謝しています。 いつかは恩返ししたいと思ってます。


       それからミャンマーで 坊主が軍事政権にたいしてデモをおこない

      ビルマの僧侶が多数殺されるという事件が起る。


      メチュラで 3人( 遠藤誠 小川秀樹 チンナワンソ) が作った日本語学校も閉鎖される事となる。

       チンナワンソは ビルマ行きを決意した。 しかしビルマの事情をしっている我々は大反対をした。



       反対した理由は チンナワンソが 行った所でどうにもならないからだ。

       チンナワンソのまわりは チンナワンソを支援した。  


      「和尚 ! がんばってください! 」




       マイミクに寄付を要請した。


       俺は正直 何かんがえてるんだ とおもった。  理由は チンナワンソは ビルマの実情をよく知っているはずなのだ。

       周りはチンナワンソの身の回りを心配した。

      我々は チンナワンソと接触する地元の住民を心配した。

       デモをおこした比丘が 日本からわざわざきたらミャンマー政権の人達に目をつけられるのは 当たり前のこと。

       ミャンマーには行った場合 怪しい人物がいたら間違いなく尾行される。

       俺も タイとミャンマーの国境沿いミャワデイに行った時何度も尾行された。

       写真を撮ろうとした時何度か 「やめろ」 といわれた事がある。


      チンナワンソはまちがいなくなにも問題はないと思う。

      しかしチンナワンソを世話した地元の人間は間違いなく 目をつけられる。

       チンナワンソは こういう状況を分かっていたはずだ

       仏教国では 比丘を世話する事は 絶対やらなければいけない。

      チンナワンソを世話する人は間違いなく命掛けなのだ。 それでもやらなければいけない。

       だから反対した。  しかしチンナワンソは我々の声を無視した。


       捨てる神あれば拾う神もいる。 寄付金があつまってしまったのだ。

       金を受け取ってしまったらその責任はおわなければいけない。


      俺もこんな奴とは付き合えない と思い 付き合いをやめた。


       チンナワンソも我々の言いたい事は理解していたと思う。

      しかし メチュラに作った日本語学校の責任 寄付金を集めてしまいその金を使う責任


       責任感のある男なのだ。出家ではなく在家の信者として行動していたらチンナワンソは 語り継がれた男となっただろう。

       チンナワンソに一度こういうメールを送った。

      「 今の宗教には限界がきています。 仏教 イスラム教 キリスト教には 限界があります。 和尚の考えで仏陀の知恵をひろめてやってください」



       その後のチンナワンソの行動は この言葉にそっていきていたように思える。


       日本に帰ってきてからチンナワンソは 日本中をかけめぐり色んな人とであった。

       悩みを聞きに  でもほとんどの人間は 悩んではいないのだ。

             ただ現状の生活に不満なだけである。


            その不満な声をわざわざ聞きに日本中を歩き回った。


             ほとんどのひとからは 感謝の声が上がった。

       去年の9月あたりチンナワンソと会った。

       チンナワンソの姿をみて愕然とした。 体中がはれあがりすこし動いただけで激痛がはしったはずである。

       その痛みをこらえ日本中の生活の不満をききに歩きに歩いた。

       
         俺は 掛ける言葉がみつからず 意味不明な質問をしてしまった。


       チンナワンソは 僧侶ではけっしてない。



       でも間違いなく ブッタの弟子であることは認めれるとおもう。

               ちょっと間違っているが

       先月の19日小川氏から連絡がはいる。


           「チンナワンソについてなにかしらないか?」


       おれは 思わず 絶対会いにいったほうがいい。 じゃないと後悔する。  と言った。


       思わず出た声でもある。

      この言葉は間違いなく 仏陀が引き合わせたような気がする。



       最後に 藤川清弘氏にこの言葉をかけたい。


       桂三のためわざわざメソットまできてくれて感謝しております。

      最後の三年は非常に体はつらかったと思います。

       でも貴殿が大好きな仏陀の知恵を広める為 つらい体に鞭うって歩き回った貴殿の姿には 感動さえしました。


       僧侶 としては認められませんが まちがいなく仏陀の弟子だとおもいます。

       安らかにねむってください。


       桂三のことは よろしくおねがいします。


          そのうち会うでしょう。


         練馬より愛をこめて       英真会 代表   吉田俊英  より

                     藤川チンナワンソ清引比丘へ


                     http://eisinkai.web.fc2.com/

      | tosiyosi | 諸行無常 | 16:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
      諸行無常 3
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         本日高円寺で 稽古あります。 見学歓迎します!




        メッセージで チンナワンソの事呼び捨てにするのは どうかと思う。

        とのメッセージいただいた。 このような指摘は 感謝 感激です。

         少なくとも和尚はつけて欲しいと ごもっともな意見です。

         チンナワンソは タイ語です。 タイ語に日本語の尊敬語いれるのはどうかと思いそうしました。 それ以外も 自分の事ではありますが 客観的に書きたいと思い 固有名刺でてきますが 呼び捨てで書きたいと思います。

         和尚と最低でもつけて欲しい ともいわれましたが チンナワンソ氏は 戒律を守ってませんでした。

         タイの比丘は戒律を守ることは絶対です。 タイの法律では比丘を罰せることは出来ません。

         比丘になるということは 甘いことではありません。

        ブッタの戒律を守って生活をすることが絶対条件です。

         殺人犯してもタイの法律では 比丘は罰せれません。 その代わり戒律の中に 生き物は殺してならない との戒律があります。

         戒律を破ると 比丘をやめさせられます。 比丘をやめさせられた後

        タイの法律が適用されます。 もし殺人を犯した場合 殺人罪と詐欺罪が 一緒に尽きます。

         比丘という立場で法律をおかした場合タイの法律では詐欺罪もつくことは 当たり前の話です。


         そのような理由で和尚という言葉は省きました。ご了承お願いいたします。



         続き


         仕事中チンナワンソから電話が入った。  早速大久保にある喫茶店で会うこととなった。  なぜか無償にパチンコやりたくなり 待ち合わせがあることにも関わらず パチンコやったら大勝してその金で タンブンをしました。


           五時間くらいはなしました。 話など途切れる事なんてありません。 桂三の事真剣に話聞いてくれました。

         あの当時ほとんど門前払いでした。 会ったとしても適当に相手にされどうにもなりませんでした。


            本当にうれしかった。 

         言葉にすることは出来ないくらいうれしかった

         その次の年チンナワンソが メソットにきてくれることも約束してくれて実際来てくれた。


         話した内容は タイの裏社会の話しからブッタの話  特にタイの裏社会に関しては 想像を越えた世界があった。

         話を聞いているうちに桂三は殺されてもしょうがなかった と思いもした。


         チンナワンソは 話が非常に面白い。  もう少し上手いやり方が在れば間違いなく世間で 認められたと思う。

         チンナワンソは元不動産の仕事をしていたタイで仕事をやることとなり僧侶の道に進んだ。

         その辺は興味あるひとがいれば「 タイで おもろい坊主になってもうた」

        という本を手にとってみるといい。  詳しく書いています。


         それからお世話になるから少し世話でもしようと思い瞑想合宿というのにも参加してみた。 ちなみに一番最初の瞑想合宿の世話人は僕である。



         ミクシーもやっていると聞いてマイミクにもなった。 そのときチンナワンソのマイミクの数は 少なかった。


         とある事件が起る。 チンナワンソがスリランカでの出来事を日記で書いた。


         いわゆる愚痴というべきかなんていうか

        ほとんどの人は そういう人もいるんですね的なコメントでしたが 一人だけ反論した人物がいる。 小川秀樹という人だ。


         俺も面白いなとおもいその日記を見ていた。 それから小川氏からメッセージが来る。


         僕の意見もいい 向こうも納得してくれた。小川氏は ものすごいバッシングを浴び去られた。


         ちょうどそのとき「夜明けのスキャット」 も書いている最中だったので 向こうも真剣になって読んでくれた。

         それから会って話しをした。  将来的には桂三の事本にしてくれるとも言ってくれた。

         嘘でも本当でも非常にうれしかった。

        それから瞑想の付き添いにいった。

         そのときチンナワンソに言われた事は

        「 いつまで鳶やっとルネン  空手道場やったほうが絶対ええぞ!

        わし不動産やっていたからわかるんや これからどんどんだめになってくぞ」

         いいたいことはわかるが 空手界の実情はそんなに簡単な物ではない

        そんなこといったら

        「 男やったら そんなの気合でいかんかい!」


        おもろい坊主だなと心底おもった。


         それからはじめての瞑想をやる。  瞑想とはなんぞや?


        といわれたら正直なんて答えていいか分からない。僕ガ個人的に調べた事

         まず瞑想とはどんな状態をしめすのか。 とりあえず呼吸に気持ちを集中させる。


         もっと分かりやすくいうと 映画を見ている時と同じ状態だそうだ。

        スポーツをやって競技に集中している状態を示す。


        脳内の脳内麻薬を少しづつだす作業でもある。  瞑想を続けていると


        光がみえたり 神様がみえたりするらしい。 おれにはさっぱりわかりませんが。 これは本当だそうだ。

         このような状態を仏教では 「 魔境」 という。

        この魔境の状態は専門家にいわせれば精神的に危険な状態である。

        これが 光とか仏ならまだましであるが 殺人とか犯罪を誘発する場合もあるらしい。

         瞑想やる場合は しっかりとした専門家と一緒にいて指導してもらわないと精神を壊す場合がある。

         連続殺人犯の話 とか ケネデイを暗殺した リーハーベイオズワルドは 「 殺してしまえ」 と誰かにささやかされたと本で読んだ記憶がある。

         もしかしたら魔境に入ってしまった状態なのかもしれない。



         例えば空手の場合 僕が以前在籍していた団体は 過激な練習で有名だった。 いまではそんなことはない。 きつい練習しているのは一部だけだ。

         徹底的に稽古をやらせなにも考えれない状態にさせる。 あたまを空っぽの状態にさせ一種のトランス状態にさせる。

         そのあと言った一言は能の奥底まで浸透させる。


        このようなやり方で世界中に空手を広めさせた。



        いわゆる洗脳である。  これを上手にやれば人間はものすごい勢いで飛躍するだろう。 もちろんその逆もできる。

        オウム心理教もそうだった。 徹底的に修行させ その後徹底的に仕事させる。


         この瞑想のやり方をつかってやっているのが アメリカのサ○エントロ○ーというアメリカ三大カルト集団である。

         実は十代のころ サ○エントロ○ーの団体に行ってしまったことがある。

         チンナワンソに教えられた瞑想のやり方は サ○エントロ○ーのやり方とほとんど一緒だった。

         サ○エントロ○ーは 仏教の瞑想をヒントを得てあのやり方をしたと思う。

         僕はたまに瞑想をしている。 その場所は 寝る前 これやると簡単に寝れる

         サーフィンするとき波待ちしている時やっている。


        一つ言っておくが 専門家は指摘している下手な瞑想のやり方は精神を壊す可能性がある。

         瞑想をやるすぎると戻ってこれない人もいる。

        一度壊れた精神は 直すのに非常にじかんがかかる。

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        | tosiyosi | 諸行無常 | 05:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
        諸行無常 2
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           チンナワンソを語る前僕の宗教感を書かねばならない。チンナワンソは 宗教みたいな堅苦しいことは言わないといっていたが そうは思わなかった。

           別に悪い事ではないしやりたいことあればそれでやればいいとおもう。

          ただ近年の カルトといわれる団体は 宗教という言葉は使っていない。

           宗教とは 近年では胡散くさい代名詞である。 20年前に起ったオウム事件を象徴するように宗教は 危ない というイメージがついてまわるようになった。

           僕は宗教は 大嫌いだ。 特に仏教となると幼い頃の思い出がよみかえり宗教と聞いただけで 寒気がする。

          チンナワンソにコンタクトとったのは タイにもぐりこみたかった。 それには タイでは絶対権力 坊主の威光をつかいたかっただけだった。


          僕の母親は とある宗教を信仰している。小さい頃は 教会につれてかれ色々教わった。

           小さい頃はなにも分からなかったから友達もたくさんいたしそれなりに楽しかった。一生懸命手を合わせていた。


            あることが起きる。 友達の家に遊びにいくと それまで仲良かったいきなりこういわれた。

          「 何しにきたんだ? 来るな!」

          いきなり言われて意味が分からなかった。  その原因 母親が 俺の友達を一生懸命勧誘していた。


           「俊英君は いい子だから好きだけど お母さんは 嫌い!」

          と 友達の母親には何度も言われた。 まだ多感な時期だったから正直傷ついた。


           桂三が生まれても宗教にはまっていて それを見ていた祖母は見ていられなくなり
          「 桂三は 私が面倒みる!」  それから 桂三は 祖母に面倒を見てもらった。 桂三は 母親とほとんど一緒に寝たことはない。

          祖母の布団に一緒になって寝ていた記憶しか俺にはない。


           桂三が 東京に行く時と タイに逃げた時 祖母だけには手紙を書いていった。

           内容は 俺の遺体は 残しません。 変わりに 髪を残していきます。

           と書いてあった。


           母親が宗教にはまった原因は この俺だ。


          俺が生まれて間もない頃 体の3分の2を焼ける 大火傷をおった。

          俺の右足見たことある人はわかると思うけど 大きい火傷の跡がある。

          小さい頃の俺の写真は包帯だらけである。 ちなみに俺にその記憶はない。 物心ついたときには 包帯だらけだった記憶しかない。

           母親はそれにショックをうけ叔母にすすめられた宗教にすがりつき一生懸命お題目を唱えた。


           本来なら死ぬはずのおれは 生き延びた。 人間の生命力はとてつもない物なのでしょう。

           それから母親は 宗教にはまり続ける。 今現在もそうである。


           桂三が亡くなった時 母親には知らせなかった。

          祖母に どうする? 言った方がいいのでは? といったら普段おとなしい祖母は豹変して

          「 あんなやづさは 教える必要ねえ! 桂三は 俺がそだてたんだ!」


           誰も何も言い返せなかった。

          とある日 実家の玄関に母親が現れた。 応対したのは祖母だった。

          祖母は高齢のため目が不自由である。 みえているが誰がだれだかわからない。

           はじめは分からなかったらしいが きづくと 祖母は 母親の胸倉をつかんでいた。


           80過ぎの祖母は 母親を殴った。

          「 おめえは 桂三さなにした! ここはおめえのくるどごじゃね!」


           母親は「 私は桂三のため一生懸命拝んでいました!」

           それは聞いた祖母はさらに激怒して取っ組み合いの喧嘩になった。


           俺も中学卒業してすぐに東京に出てきた。 あの頃はみなには アメリカにいくのが夢だから東京行って金貯める!

          とは 言っていたが本当の理由は 母親から逃げたかっただけである。


           勝手な人生間を無理やりおしつけるやり方は いまでも嫌いである。


           それから宗教と聞くと今でも嫌悪感は なくせない。

          東京きてから何度もカルトといわれる団体に誘われたがいつも最後は喧嘩して終わった。

           思えば母親のお陰だとおもう。


          そういう認識でチンナワンソに頼みに行った。


           日本人は 宗教にたいして他の国民とくらべると無頓着である。


           その一つの理由といわれるのが 織田信長といわれている。

          信長は 比叡山を焼き討ちした。 そのことで何年も宗教関係からは嫌われている。

           その焼き討ちした理由は 比叡山焼き討ちの一年前 比叡山の坊主達は

          京都を襲撃した。 その殺された数は 6万人といわれている。

          立派な虐殺である。

           その乱の名前は忘れたが それから日本人は宗教にたいして冷静になったともいわれている。

           その虐殺の理由は 偶像崇拝だとたしか書いてあった。

          信長は イエズス会からは 魔王といわれ恐れられた。


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          | tosiyosi | 諸行無常 | 07:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
          諸行無常
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             ムエタイの選手が試合始まる時頭につけてるモンコンを取る時 セコンド 「師匠」 は こう言っている。

             ブッダ サラハム ガッチャ−ミ…

            パーリ語である。 意味は 私は仏陀に帰依します  という意味だ。

             知り合いの坊さん チンナワンソが24日亡くなった。  去年会った時 間違いなく死ぬとわかっていた。 


             チンナワンソとの出会いは 弟 桂三が死んだ事がきっかけだった。

            弟は 山口組 五菱会 梶山進の秘書をやっていた。 このことはミクシーで一年にわたり書き続け 雑誌にも掲載された。 その辺は 夜明けのスキャット という題名で書いているので興味ある人は読んでみるといい。

             桂三が亡くなって一ヵ月後俺は タイ メソットへ飛んだ。


            金は 桂三が亡くなったとき遺骨を引き取りに言った時 親父から100万預かった。 その金は返してない。 桂三をの事調べル為 資金が必要だった。 その年 交通事故にあい 保険金で100万近くおりた。


             その金もすべて調べる為に使った。 後の金は 鳶で必死こいて稼いだ金。

             全身全霊を込めて戦う事を決意した。 最悪死ぬ事も覚悟した。


             メソット在住のSさんという自宅に尋ねていった。 そのとき偶然メソットにある難民病院 メタオクリニックで ボランテイアで働いていた

              藤川さんという医者と出会う。

            すべてが行き詰っていた。 本当に絶望という言葉が見に染みた。

             そのときこんな話を聞く。

            タイでは 坊主は絶対権力  タイ国王でさえ坊主の前では 頭が上がらない。

             一人日本人でタイで坊さんやっている人がいる。 会って見ては?

             
              その坊主は一冊の本を出していた。


             その本が「タイで おもろい坊主になってもうた」 という本である。

            この本は非常に面白く一気に読んでしまった。 実際この本を書いている人は チンナワンソではない。 小川秀樹さんという人である。

             元ネタは もちろんチンナワンソである。



            この小川秀樹という人が最初に「 おもろい坊主を囲む会」 を作った人でもある。



             この本の売り上げで ミャンマーのメチュラという場所で 日本語学校を設立する  メッテイーラ といっているが実際の発音は メチュラである。

             もう一人関わった人物がいる。 それが 帝銀事件の弁護士で有名な

            遠藤誠弁護士である。 人権派弁護士で 日本の法曹界では 名の知れた人でもある。


             その本を読んでチンナワンソに メールを送った。 返事は早く今度日本に 行くからそのとき会おう


             ということになった。

             桂三の事で頭を抱えていた時期でもあり 俺は迷える子羊だった。

            実際会ってみて 本当にはなしやすく 真剣に話も聞いてくれた。

             うれしかった。 本当にうれしかった。 チンナワンソにたのんで タイ暗部まで 付き合ってくれる と約束してくれた。

             最初の頃の「 坊主を囲む会」 にも 足を運んだ。

            あの当時はまだ 発足間もない頃で 今見たいな人は集まっておらず 質素が 会だった。

             一番最初の メソットでも供養はチンナワンソが来てくれた。

             俺が本来なら行く予定が 最後の 空手の大会 全日本ウエイト制大会が あるためいけなかった。

             桂三の事調べる為 空手をやめる決意をしていた。 本当の理由は 桂三を追い込んだ人物を俺が所属していた団体がかくまっていたため

            そんな奴らとは 同じ道を歩むことはできない。 と思いやめる決意をした。

             本来なら一生極真空手にささげる気持ちでいたが 無理だった。

            空手そのもの嫌いになり何もかもが信用できなくなっていた。


             その大会の俺のブロックには 正道会館 ロシア というものすごいデスブロックだった。

            しかも二回戦目の相手は 前回世界大会出場者 ダルマンであり 本当に 眠れない日々が続き 悩んだ。 悩みになやんだすえ根性をきめて

             ストップ ザ ロシアを決行した。 最後の恩返しと思い覚悟をきめた。


             ダルマンに 勝ったとしても次は正道会館の軽重量のチャンピオン 外岡だった。


             俺の技量では ダルマンに勝つことは出来なかった。こうなったら最後の作戦 人柱である。少しでもダメージを与え次の試合を 負けさせようと決めた。

             作戦は成功 俺はダルメンに負けたが ダルメンは 次の試合 外岡に負けた。  外岡は その次の試合で負けた。

             これで最後の試合と 心に決め 少しは 役にたったのかな とおもい 極真空手人生を 終えた。


             しかしその年の無差別全日本で ダルマンは入賞してしまった。
            俺は 正直がっかりした。


             それからの日々は 桂三の事で調べまわった。
             
            資料がそろい準備が整ったら 今度はタイに乗り込む覚悟を決める。


             http://eisinkai.web.fc2.com/


            | tosiyosi | 諸行無常 | 11:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
            藤川チンナワンソ清弘比丘へ
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               先々週の土曜日 おもろい坊主になってもうた という本に深く関わった人物から 連絡が入った。

               内容は 藤川和尚のことで 何か知らないか?

              という内容
               
              俺は知っている内容をつげた。 チンナワンソとは 去年の夏辺り一度会っている。

               メソットにある難民病院でボランテイアで働いていた医者も一緒だった。

               一言ボそりといった。

              「 チンナワンソあと半年も持たない…」


              本人は いたって元気そうだったが 体中腫れあがっていた。 顔も二倍くらい腫れあがっていた。


               いわゆる癌の末期症状である。


              中学の時火傷で入院した事がある。そのとき隣の病室の人が 癌でなくなっているので 癌で死ぬ人の最後は知っている。

               チンナワンソはまさしくそうだった。

                 俺は その人に絶対あったほうがいい。 明日仕事休みだから一緒にいこうといったら 小川さんも 承諾してくれた。


               結局合えなかった。

              この二人は 盟友であり ライバルであった。 


              基本チンナワンソは 嫌いだった。 話せば話すほどむかついてくる。


               しかしなぜかどこか憎めない所もあり不思議なじいさんだった。



              去年は 中野さんが亡くなり今年に入って藤川チンナワンソが亡くなった、


               一度チンナワンソにこういう質問をぶつけた。

              仏教がうまれて2500年  2500年もの間 ブッタの教えをその弟子達はひろめていったのに この有様か?  2500年前よりもよくなったのか?


               俺は 輪廻を信じない。  もし輪廻 生まれ変わりがあるのならば

               この質問に もう一度答えてほしい。


                    藤川チンナワンソ清弘比丘へ
              http://eisinkai.web.fc2.com/
              | tosiyosi | 諸行無常 | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
              出発と別れ
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                  日曜日以前在籍していた道場の後輩の結婚式に呼ばれた。  中々楽しい式で どちらも目立ちたがり屋さんなので 見ていて楽しくなるような式だった。


                 式から出席させていただいた。  何度も携帯のほうに連絡が入る。  タイからだった。

                 あまりにもしつこい為後から かけ直すという ほっておいた。

                 夕方またなった。

                内容 中野弥一郎さんが 日曜日の朝3時ごろ亡くなったそうだ。


                 中野さんは タイ ミャンマー国境沿いに 住んでいる人だ。 この中野さんは インパール作戦の生き残りの方である。

                 インパール作戦は 第二次世界大戦 史上最悪の作戦といわれている。 8万人 投入して 死者4万人以上と よばれ そのほとんどは 餓死者である。

                 日本軍が通った道は別名 白骨街道とも呼ばれている。

                 人間は 水のみでしたら1ヶ月位だったら生き延びれる。  違う言い方すれば 人間は 食物をとらないと一ヶ月かけて死んでゆく。

                 僕と中野さんの接点は 弟 桂三である。  桂三の事で迷惑をかけた人だ。


                いまはただ 申し訳ないという言葉しか浮かんでこない。


                 中野さんに聞きたいことがあったが最後まで聞けなかった。  内容は

                 祖国日本に帰ろうとはおもわないのでしょうか?  あなたにとって祖国とはなんですか?

                あなたにとってあの戦争とはなんだったのでしょうか?

                 中野さんを目の前にしたとき 聞けなかった。  


                 一度NGOが 中野さんを日本に帰そうとう運動が起った。 あと一ヶ月で 飛行機のるだけという段階になった時  中止になったそうだ。


                 本人から中止にしたい という申し出があったそうだ。

                理由は「 日本は 暑いからいやだ」 という 理由だ。

                はっきりいえば 日本より メソットのほうが厚い。 我々には 理解ができない いや 想像がつかない本人の考えがあるのだろう。



                  中野さんと一つ約束をした。 今度メソット来る時 最高に上手い赤飯があるので もってきますよ!

                 といったら うれしそうな 悲しそうな顔して 一言言った。

                「何年も赤飯なんてたべてないなあ…」

                 中野さんの奥さんは パオ族のかたで 若い頃の写真をみせていただいたが まるで 女優のような美しい女性だ。


                 中野さん あなたは 何を思い そして なぜあんな辺ぴな場所で生涯を終えたのでしょうか?


                 心よりご冥福祈ります。 合掌

                そして一つの 昭和史が ここで幕をとじた。


                 中野さん安らかにお眠りください。 あなたの事は 一生忘れません。


                 英真会 代表 吉田俊英
                | tosiyosi | 諸行無常 | 18:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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