日本実践空手道 英真会

 愛と平和な西新宿な日々 と 高円寺の夜
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    10年という月日
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      10年という月日は、色々返る。

      1ヶ月前の今日 桂三が亡くなって丁度10年という月日が経った。

      今思えばあれが人生の転換期でもありました。

      あの事件は色々な人の人生を変えてしまった出来事でもあった。

      一部の人にとっては過去の出来事であるかもしれないが

      身内にとっては 今現在身内がこの世には いないという現実がある。



      あの出来事があり我が吉田家は強くなった。


      僕自身 あの事件を経験しそのあと起こる色んな出来事にも冷静に対処する事ができた。




      桂三のおかげだと思いたい。


      夜明けのスキャットにも最後のほうにこういうことを書いた


      今マネーゲームの真っ最中 俺はこれから金を手にし

      権力をてに入れ

      どんどん強くなっていくだろう。


      天使になるか 悪魔になるか


      それは30年後にわかるだろう。


      今のところ順調です。


      桂三が五稜会から逃げてる時

      成田空港から奴らに電話しこういうこと言った。



      「これって 俺の勝ちですよね?」


      俺からあいつらに伝えたい


      僕の圧勝です。


      さらに差はどんどん広がる事でしょう。

      私が嫌いな人達が幸せになるように祈ってます。
      | tosiyosi | 夜明けのスキャット | 18:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
      夜明けのスキャット 皆様へ  終わり 
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        ようやくこの日記も書き終わりホットしております。一年位かきつづけたのかな?

        飽きっぽい俺がここまで書き上げるとは夢にも思わなかった

         アクセス数をみてやる気が出てきました。

          感謝しております。

         一ヶ月半位で 20000ヒットいたしました。 ありがとうございます

         今思えばこの5年間 色々な世界を見てきました。

        バンコクの妖しく引き込むようなネオン 

         世界一安全と言われているこの日本の闇の部分  そして闇の世界  

        哀愁漂うメソットのまちなみ


         国境問題

        カレン民族の宿命 生き方 

        インパール作戦の生き残りの中野弥一郎さんと坂井さんの生き様 

        タイ人の明るさ いい加減さ

        ムエタイの美しさ 強さ 

        キックボクシングの世界

        そしてこの俺を影で支えてくれた方々

        桂三には悪いが 退屈という二文字はこの俺には見当たらなかった

         まるで 映画をみているようだった。まるで映画のワンシーンがそのまま俺の目に映っていたかのようだった。

         この事件は解決していない。 しかし世間には未解決の事件が山ほどある。この事件は単なるその一つの話だろう。

        たまたま主役は桂三だった ということだ。

         本当は桂三がこんな事にならなかったら普通の格闘技好きの鳶職だったにちがいない。 正直いって僕は目立つのが好きではない。

        できる事ならおとなしくスミで生きていたい小心物なんです。

         桂三が死ななかったら多分空手もやめていただろう

        大好きな波乗りばかりしていたと思う。ところが引退しておとなしく生きていくつもりが なぜか年甲斐もなくキックを始めてしまい これがまた面白くて 最近は総合格闘技も少しだけはじめた。 これもまた面白いのだ。

         人生どう転ぶかまったく予想は出来んですな

        こんな日記かいてるから暗い僕を皆様想像していると思いますが

        結構楽しんで生きてます。仲間に恵まれているのだろう。

         そして英真会という空手団体を立ち上げてしまった

        この俺がですよ。自分でも信じられません。


         とうとうこの日記も終わりです。末永くこの日記を読んでくださって感謝しております。

         
         最後に皆様に この曲をプレゼントします。

        桂三が カラオケでよく歌っていた曲です。 


         エレファントカシマシ      風に吹かれて




        http://www.youtube.com/watch?v=TjgFJAm-Bno
        | tosiyosi | 夜明けのスキャット | 16:55 | comments(2) | trackbacks(0) | - |
         夜明けのスキャット 39 桂三へ 兄ちゃんより
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             桂三 元気か? そっちは 楽しいか?

             そんなに退屈な毎日ではないだろう

          俺の友達もそっちにたくさんいるから 俺の弟と言えば お前の事 皆 ウエルカムだろう

           お前がなくなってすぐに 夢にでてきたな

            ラーメンと金ちゃんと一緒にでてきただろ?

            何言っていたか覚えてないけど 少しうれしかった

            話かけようかと思ったが 目が覚めてしまった

            お前もしっていると思うけど パンクロックが大好きだ

           パンクは 誰に嫌われようと 憎まれようと 自分の道をつき進むのが パンクだ。

           お前は その道つきすすんだ。ある意味立派だと思う。

           今何処にいるんだ? 地獄か? 天国か?

           どっちにいてもいい そのうちお前に会いに行くとだろう


          もし お前が地獄にいたとしても 俺は会いに行く

          たとえ俺がこの先 立派な人生あゆんで 神様が 天国にいきなさい !

          と言われても 俺は 断る。


          俺が三途の川 渡る時 閻魔大王が俺の前に立ち図り 地獄には いくな あっちへ いけ

          と言われても その時は 閻魔大王をだましてみせる

          もし お前が天国にいると言うのなら 俺はそれなりの人生歩む


               少しだけ 話したいんだ  ただ 本当にそれだけだ。


            でも 今はそっちには いけない

            まだまだ遣り残した事は たくさんある。


          多分だけど 少しづつ 桂三の事忘れていくだろう

          今でも ふと 忘れる時がある

          その時は 資料だしていろんなこと 思い出すんだけど なぜか 忘れてしまう

          人間て 忘れッぽいんだな

           一つはっきり言いたいのだが 桂三 お前が悪いよ

          いろんな人に迷惑かけた

          だけど 命もって償ったのだから 別にもう 気にしなくていいんじゃね

           みんながお前の事 嫌いでも 俺は 味方だ 桂三の

          だって 弟だもんな。

          では また 会う日まで

          俺が そっちに行く時 お前が向かえにこい


          お前以外 受け付けん! 






           桂三に この歌をプレゼントしよう


           シド ヴイシャスの マイ ウエイ


           兄ちゃんより












           http://www.youtube.com/watch?v=BK3VbQV2csA&feature=related
          | tosiyosi | 夜明けのスキャット | 20:12 | comments(1) | trackbacks(0) | - |
          夜明けのスキャット 38  
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             あの歌が わからなかった。 メソット行く度に俺の頭の中でぐるぐる回っていた曲 「夜明けのスキャット」

             メロデイだけは 解っていました。  段々と詩というものの存在がわかりけっして切ない曲ではなかったこの曲




             桂三が亡くなってもう7年の月日が流れた。

            この7年間の間 俺の人生の中で もっとも波乱に満ちていた。

            命を削るような議論を何度もやった。

             虫けらってわかります。 虫けらって糸も簡単に殺されるような存在

            その虫けらのように 殺されたのが 僕の弟でした。

             この事件調べていて思ったことが 桂三の運の無さである。

            基本的に 俺は運がいい方で 今までやばい事になりそうになっても何とかなっていた。

             しかしこの事件は 本当に なんともならなかった。  いく手に色々な生涯が待ち受けていた。


            はじめマスコミを使って何とかしようと思ったが マスコミ関係にも心ないこと言われ かなりへこんだ…

             ところが世の中インターネットの時代である。

            俺は決心した。 じゃ だれにも頼らないで自分でやってみよう

            少しでもこの事件を広める為努力しよう。

            俺には その道しか残っていなかった。

            努力とは 絶対出来ないと言われていることを やり遂げることが努力である と この 5年で学んだ。

             お世話になっているマイミクのかたにも こんな事いわれた

            「 いいか お前のやってることは 本当に あぶないことだぞ
            ヤクザって知ってるか?

            今世の中不景気だろ? だけどな 闇の世界の人間は もっと不景気なんだぞ

             あいつら自分勝手だから絶対自分のせいにはしない。 他人のせいにしたがる。

             お前が こういうことやっていると 意味もなくお前のせいにするぞ

            あいつが ネットでこんな事書いているから 俺の生活は惨めなんだと」

             御もっともである。


            しかし俺には 俺の意地があった。 こんな事でやめるわけには いかなかった。 理由は 悔しかったから 悲しかったから

             本当なら いるはずの人間がいない事が 悔しくて 悲しくて どうしようもなかったからである。

            桂三は 誰に看取られることもなく 勝手に死んだ。
             
               しかも殺された。

            おまけに 無かったことに しようと 日本政府とタイ警察は その事に努力を務めた。

             おまけに 桂三を 追い込んだ奴らが 俺の所属していた団体の人間が 関わっていた。 誰も信用は出来ない体質になってしまった。

             去年僕は その団体に別れを告げた。俺は 一生その団体に身をささげるつもりだったが やめた。

            これからは 自分の力で生きていく。俺自身の為に 空手道はやり遂げるつもりだ。

             怪我の功名かもしれないが はじめタイにもぐりこむつもりで始めたキックボクシングが こんなに面白いとは思わなかった。

            タイという国が 大嫌いだったが ムエタイというすばらしい格闘技に出会えて タイという国を見直す事も出来た。

            いつかムエタイに 恩返しできたら幸いとおもっている。

            実際ムエタイ関係者に かなりの協力をしてもらった。感謝してます。



             今回桂三の遺体を見た時このような視点で見てしまった。

                             なぜこのような事態になってしまったのか? 回避できなかったのか? 何人に囲まれても脱出できる方法はなかったのか?

             空手家という視点で見てしまった。


             桂三は柔道有段者でもある。 空手もやっていた。  フランス外人部隊の面接に行く前コマンドサンボもかじっていた。


             世間でいえば このような状態になった時回避できるはず  という概念がある。


            しかし 日本武道は 最悪の事態になった時まったくつかえない武道 ということを証明してしまったような感も 受ける。


             こう見えてても空手の修行は 20年を越えてしまった。  このような状態になってまったく使えない武術というものを 見直さなければいけないと痛感した。


            個人的にもこのような状況は 非常に悔しい。


            それから 俺は空手というものを 研究した。  そしたら色んなことが理解していった。

             それが 英真会設立の理由である。  桂三事件ということが起きなかったら英真会はなかたのである。

             これは 俺にとって 宿命のような気がする。

            俺が 17歳の時 空手の世界チャンピオンだった男に こんな事いわれた。

            「 いいか 吉田 男ってな 金持ってるとか 空手の世界チャンピオンだとか そんなことは 関係ないんだ。 大事な事は いい男になる事だ! いい男になってくれる事 俺と約束してくれるか?」

             先輩とうとうお別れです。俺は 自分の道を歩きます。

            今おれは 一つの会社の社長になってしまった。

            マネーゲームの真っ最中だ。 今はちっぽけな会社かもしれないが…

            これからは 金を手に入れ 権力を手に入れ 身体を鍛え上げて最強の男を 目指します。
             


               俺が 悪魔になるのか 天使になるのか それとも落ちぶれるのか

                      30年後なったらわかることだ。

            一応 夜明けのスキャットは 終わりにするが 俺の中で 夜明けのスキャットは まだまだ続く

            次は 桂三への手紙で 終わりにしたい
            | tosiyosi | 夜明けのスキャット | 20:17 | comments(2) | trackbacks(0) | - |
             夜明けのスキャット 37 報告書  6
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              桂三が殺された理由の可能性 (5)

               殺されたのは間違いないと思われるその理由は メソット警察と日本大使館からもらった写真をみた結果自殺とは思えない。その疑問点を幾つかにまとめてみた。もう一つkzが亡くなったときタイでニュースがテレビに流れた。その時A氏がそのニュースをビデオで録画した。その中には桂三の遺体がちゃんと写っている。その二つを見性して見た。そしていくつか疑問点をまとめてみた

              kzの遺体の疑問点
              1 出血が多い 首吊り自殺ではあまり血が出ないらしい

              2 棒で目の上に殴られた痕がある

              3 口から血が出ている 普通首吊りの場合鼻から血はでるが 口からは出ないらしい

              4 背中の傷を 写真があるのに説明がない 

              5 手首にためらい傷がある、がためらい傷にしては傷が汚いと思う。が手錠の痕と考えたら説明がつく

              6 あの状態で本当に死ねるのか座ったままはカナリ苦しいはず 耐えられないとおもう。あの死に方はよく刑務所とか麻薬を服用し錯乱状態になった人が死ぬ方法だ。が桂三はそのような状態ではなかった。死ぬなら他の方法があったはず 

              7 遺体に 蚊に刺された痕が少ない。 あの場所は 近くに川が流れていて 蚊が多い 

              8 アノ辺りは 草木。棘。が カナリ多く 短パンで 歩いたら 手足に カナリの傷を負うが傷は少ない

              9 顔の左の頬にL字の深い傷がある。この傷は私も見ているがどれにも説明が乗ってない 

              10 首を吊っただけなのになぜ6箇所も

              11 首に赤い傷がある。これは 生きてるときに傷つけられた傷ではないのか

              12 外務省は 外傷は特に無しと言っていたが あった なぜ言わなかったのだろう

              13 頬についた×の傷後は 検死報告書には出ていない。しかしビデオにも写真にもその傷後はちゃんと写っている。私自身もその傷痕をみている

              14 警察と大使館は自殺したあと ためらい傷が両手にあるといっていた。しかし検死報告書にはその傷を裂傷と表現している。つまり裂けた痕と表現している。

              15 両手にためらい傷があると言っているが、桂三は左利きである。両手を上手く自分で切れるだろうか?

              16 大使館の説明だと首についている6本の傷は現場検証の時首についていた紐を引っ張ったときについた傷と説明を受けたが紐をひっぱって6本も傷がつくだろうか。首についている1番上の傷がどす黒くなっている。そのどす黒くなっているのが、紐を引っ張った時の傷だと思われる。他の赤くなっている傷は死ぬ前に付いた傷だと知り合いの警察関係者に言われた。正しこの傷は自分でつけようと思えば自分でつけられるらしい。岩手医大法医学の先生の証言

              17 首を絞められて殺された場合モガキ傷ができる。首の所にモガキ傷の跡が見受けられる。自殺ではモガキ傷はできない 


              その他kzが自殺とは断定できない理由がkzの行動からも説明ができる。それを 幾つかにまとめた
               桂三の行動の疑問点

              1 19日に回りに電話をしている 死ぬそぶりはみせていない I氏に24日に山に入ると言っていた
              2 所持品にライトが無かった。死亡推定時刻は2月20日pm9時頃あの辺は明かりが無くライトが無ければ 歩けないし紐もむすべない

              3 なぜあんな所でわざわざ首を吊るのか あそこまで歩いて1時間以上かかる。しかも桂三はサンダルを履いている。あそこまでサンダルで行って暗闇の中自殺するのだろうか 桂三は所持品の中に運動靴が3足あった もし歩いていったとしても サンダルに泥は少ししかついていない
              4 死ぬ人間がその日に病院に薬を貰いに行くだろうか?風邪薬を貰いに行ったついでに死ぬ人間がいるだろうか

              5 遺書が無かった 普通日本人だったら遺書を書くはず

              6 桂三担当の警察に私はこう 聞いた「あなたは これは ほんとうに自殺だと思いますか」警察「まだ自殺だとは思っていない まだ捜査する必要がある」と 答えた なぜ簡単に話しを覆すのだろうか?

              7 足跡の説明を受けたがかなり不自然な足跡だった。警察の説明によるとその足跡があった場所から入ったらしいが棘ダラケでそこから入る気はしなかった。入るならもっといい場所があった

              8 吉田桂三は自殺するような人間ではない。これは私だけの意見ではない。

              9 検死報告書のなかには処方した薬が検出されてない

              10 桂三が亡くなった死亡推定時刻は2003年2月20日pm9時である。しかしバイクタクシーの運転手は桂三を国道沿いで歩いていたのをみかけたのが pm3時というが、バイクタクシーの運転手が見かけた場所から死体発見現場まであるいて30分くらいだと思う。がとしたらその間の5時間半桂三はあの電灯もなく真っ暗闇の中、死亡推定時刻のpm9時まで何をしていたのだろうか?
               
              11  桂三はパオ病院に風邪薬を処方してもらったと証言はあるが、処方箋をもらうだけの語学力があったのだろうか?

              12 ちなみに桂三事件のあと桂三事件担当の警官は他の部署に移動になった。A氏の証言によると桂三担当の警官はメソットにきて1年も経っていない。しかも桂三担当の警官はメソット警察署ではかなりえらいらしく他のところに移動する理由がないらしい。
              どこへ移動したのかは、不明らしい。

              13 夜中の9時にあの首を吊った木をどうやって発見したのだろう。どうやって暗闇の中あの木に紐を木に縛り自分の首にまいたのだろうか?ライトは所持品の中にはなかった

              14 他に首をつるような場所がたくさんあったにも関らず桂三はドブの中をえらんだのはなぜか?他に自殺する方法は幾らでもあったはず


              kzが持っていた所持品の中になくなっていると思われるのが幾つかある。それをまとめてみた
              無くなっている所持品

              1眼レフカメラ A氏所有 400バーツ CDプレイヤー 携帯電話2つ(桂三がメモ帳代わりにしていた) 写真(女と一緒に写っていた) 本(金融関係)
               その他本文に書かなかった証言が幾つかある。
                 証言集
              1。前の日pm3:00頃遺体発見場の途中の国道でバイクタクシーの従業員がkzが歩いていたのを 目撃している
               
              2 警察の事情聴取に目撃者を呼んでくるときに警察か誰かが これで 自殺となると言ってたらしい。 

              3 死んだ前の日モエイ川で ぼーっとしているのを 住人が 目撃 (あやしい)

              4 桂三が泊まってたゲストハウスの経営者は 警察関係者
                
              5 桂三が辞めてたあとkzの客の債権は 佐々木がもらった 

              6 桂三の上の人たちは皆逮捕されたらしい桂三証言(金融関係)

              7 パオ病院が処方した薬は風邪薬と食道炎の薬と言っていたが 違うと言う情報があった。そのことを確かめに3ヶ月前メソットに確かめに行ったが門前払いをくらった。いまs氏にそのことを頼んでいるが返答なし

              8 大使館の話だと遺体発見現場までは車で運ぶルートは無いと言っていたが実際は2つあった.一つは裏の工場からだ。2つ目は工場に入る門の脇に道がありそこには、ちゃんと車道(ひんぱんに車が通ると出きる道)ちなみにこの道のことは大使館は知っていた
              9 喧嘩し出て行ったのは20日死ぬ前の日である、しかしゲストハウスの人間は19日と言い張っていた。
              10  A氏の話によると桂三は日本から2,300百万円の金を持っていったらしい

              11 私達がkzの遺骨を引き取りにメソットに行った時私達の後を警察がずっとあとをつけていた.皆で夕食を食べていたら外で警察がずっと私達を見張っていた

              12 もらった写真とビデオと司法解剖の結果を専門家にみせたところこの写真とビデオと検死報告書でははっきりと自殺とは断定できないといわれた。自殺といえば自殺 他殺といえば他殺らしい。しかし私は日本大使館とタイの警察からもらった書類も専門家にみせてある。警察が自殺と断定した書類関係を専門家にみせてもはっきりと自殺と断定することはできなかった。

              13 Sさんのところに来たメソートの警察官が彼がタイ語がだめなので私のところに頼みにきました。その時の情報が次の日のタイ新聞に載っていたので、それを見た知り合いの大使館関係者から電話があって詳しい事情を聞いてきたので説明をしただけです。

              14 2003年の1月4日にもメソットで45歳の日本人男性が首を吊って自殺している。この時は殺人としてちゃんと捜査しておりメソット在住のSさんも疑われた。(この後遺書が見付かり自殺と断定された)この自殺については桂三も知ってた

              15 I氏によると桂三はそのことを聞いて「俺もそのうち死ぬんですかね」とおびえた様子だった。この時の桂三の格好は以前は素朴な青年という印象だったがその時はチンピラにしか見えなかったらしい。

              16 2003年の1月 桂三が死ぬ1ヶ月前にメソットで遺体で発見された日本人K氏は自殺ではなく他殺の可能性がある。このK氏が遺体で発見されたときホホに骨まで達する傷があった。

              17 桂三が死んですぐHはメソットから姿をけした ゲストハウス責任者証言

              18 ゲストハウスの責任者の話では日本人が桂三を殺したのではないかと言っていた

              19 桂三がなくなったとき警察が桂三の荷物を取りに来る前日本人が二人桂三の泊まってたゲストハウスにきて何か書類を持っていったらしい。その日本人と持っていった書類は何かはわからない、ゲストハウス責任者証言
              20 ゲストハウスから書類を持っていったのは IとHである(I証言) 

              | tosiyosi | 夜明けのスキャット | 18:49 | comments(2) | trackbacks(0) | - |
               夜明けのスキャット 36 報告書 5
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                 桂三が殺された可能性 (2)

                 二つ目の桂三が殺された可能性のひとつとして、麻薬の取引の失敗という見方がある。桂三はタイに行く前金融関係者に麻薬を手にいれに行くといっていたらしい。I氏もカレン軍関係者から桂三が麻薬にかかわっていると2002年の秋頃聞いている。一つ気になるのが怪しい日本語を喋るタイ人の存在だ。もしかしたら桂三はその人間と麻薬の取引をした可能性もある。桂三は何人かの地元の人間に個人的に接触をしていた。そして片端から麻薬は手に入らないかと聞いていたかもしれない。そして桂三は手に入ると言う人を見つけて取引をした。そして桂三は金を渡したが騙された。それに気が付いた桂三は激怒し仕返ししに棒を持って出て行って殺されたというのが もう一つ可能性である。

                    桂三が殺された可能性 (3)
                 もう一つの可能性としては 日本の闇金関係者にやられたという説である。桂三は死ぬ前の日に19日日本に連絡を取っていたそして桂三は その時に居場所を喋ってしまった。そして殺し屋をメソットに飛ばして殺したと言う説である。日本の闇金関係者は桂三に保険金を掛け殺したのではないかと言う証言はあったが、桂三の戸籍謄本の写しを取りに行った人物は2003年11月時点では、(桂三の父親)以外はいない。その他にも桂三は仕事で何か重大な失敗を侵し闇金関係者の恨みを買い殺された という可能性である。

                 もうひとつ桂三は会社の金をかなりつかいこんだらしい。桂三が会社を経営していたはずだが実際はSIグループが経営していた。SIグループとは山口組五菱会の一つである。そして金を使い込んだのをSIグループの集金人のまとめ役Sにばれヤキをいれられた。その後桂三は罰として平社員に降格された。しかしその後桂三はまた失踪しタイに逃げた。桂三はメソットで乾季に過す日本人達にはタイに来る前東京を1ヶ月位逃げてからタイにきたらしい。

                回りの人達の見解はS達から逃げてきたというの見解だが、しかし佐々木達は成田まで見送っていた。はじめの情報では桂三達の経営する金融はY組 Y組が仕切っていたと桂三は周りに証言していた。しかし実際は桂三が所属するSIグループは山口組五菱会である。Y組と五菱会は派閥争いをしている。A氏が出資法違犯で逮捕されたときの一緒につかまった鈴木卓也はSIグループの内部事情をY組に流していた。Sも同様である。もしかしたらSが率いるグループはY組の影響があった可能性がある。多分桂三はなんらかのトラブルを背負いタイに失踪した。桂三一人が責任をおった。
                闇金関係者がタイまで桂三を追っていたという情報があった。2002年2月19日に日本に連絡を取り居場所が闇金関係者に知れ渡り殺された.タイ バンコクにはかなりの数のY組関係者が潜伏しているらしい。
                桂三は本当に会社の金を使い込んだのだろうか? 桂三がラッキーを経営していたのは一年位らしい.
                (A a 桂三とは幼馴染である。その当時A氏は無職で仕事を探していた。仕事がないかと桂三に相談したところ桂三が勤めていたワイズエージェンシーを紹介された。一応面接を受けたが違法な金融とわかりやめた。A氏が面接を受けたのは桂三が亡くなる一年前である。面接官はSである。そのとき桂三はラッキーの経営を始める準備をしていた。)
                桂三は金をつかいこんだのでは無く貸した金を回収できなかったのではないか という話もある。貸した金を回収できないので桂三は責任を負わされた。と考えたほうが自然である。
                     
                | tosiyosi | 夜明けのスキャット | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                 夜明けのスキャット 36 報告書 4
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                   まとめ

                   桂三と接触していた人達の証言をまとめた物である。警察と日本大使館からもらった写真を見性してみるととても自殺とは考えがたい。

                   桂三の死んだ理由は他殺としかかんがえようが無い部分がかなりある。メソットの人間も誰も自殺だとは思っていないらしい。
                   
                   メソットはとても複雑な町である。メソットに在住の人達は多種多用である。タイ人ミャンマー人カレン人シャン人その他大勢である。もちろん全員がタイ語はしゃべるわけではない。その中でも強いのはタイ人である。その中でかなりの権力があるのは、メソットの警察である。よく警察に殺されたという話は普通にあるらしい。

                   実際A氏も警察が銃でミャンマー人を撃っているのを見た事があるといっていた。ミャンマー人がころされてもニュ―スなればいいほうらしい。その時警察は仲間の警察を呼び遺体をどこかへ隠し他の人を犯人にしたてあげたらしい。

                   メソットでは警察はかなりやりたい放題らしい。噂によるとタイの警察はメソット行きを希望しているという噂もある。
                   理由はリベートがたくさんもらえるらしいというのがメソットでは噂されている

                   タイの警察はなぜそのような強盗または賄賂をよく要求する理由はある。それはもらっている給料が少ないという理由である。

                   タイの警察の給料は7000バーツ位.幾ら物価の安いタイだからとはいえこの給料ではやっていけない。よく置屋(売春宿)とか麻薬の売人とかから毎月リベートを貰っている。

                   追申メソットはタイとミャンマーの国境沿いにある町で麻薬の通り道として有名である。

                  (実際2003年10月メソットにて麻薬押収量がタイでの過去を上回る量が押収された)。

                   置屋は一月5000バーツのリベートを警察に払っていると言われている。そして新しい女が来ると最初に警察に連絡がはいる。そして最初にその女を試すらしい。ほとんどの置屋に売られてきた女の子たちは処女である。そのほとんどの女の子達はミャンマー側からやってくる。
                  金はもちろん払わない。

                   KNUとはミャンマー政府と40年以上独立紛争をしているカレン民族である。最近は大きな紛争は起こっていない。だが紛争をしているとは表面上そうなっているのだが、ほとんど馴れ合いの戦争になっているらしく、カレン人がミャンマー人を見かけてもよほどのことがない限り見逃すらしい。桂三がKNUの解放区に入った目的は、戦争をする目的ではなく金融関係もしくは日本の警察の取り締まりから逃れる為に解放区に入ったものと思われる

                   桂三は3年前に解放区にはいった目的は高部氏の本を読んだ時の興味と以前桂三はフランス外人部隊に入隊を希望していた。
                  理由は自分で警備会社を作るのが桂三の将来の目的だったと私に話していた。だがフランス外人部隊は桂三の語学不足を理由で面接に落ちた。そして高部氏の本を読んでカレン民族に興味をもった。だが桂三の目的はKNUの紛争に参加するのでは無く、KNUに参加していたという事実が欲しかったものと思われる可能性も否定できない。

                   情報をまとめた結果 桂三が殺された理由を まとめてみた。

                  この見解は 私個人の私見である。

                     桂三が殺された可能性 (1)
                  メソットの住人の話だと桂三を殺したのはムエタイのコーチやったのではないか という話らしい。桂三は ムエタイのコーチ達に「日本ではヤクザだった 」と言ってたらしい。回りの日本人にもかなり羽振りのいい生活をしていたと言っていた。
                    ヤクザともつながりもあったと回りに桂三は証言していたらしい。多分桂三は周りの地元の住民にも言っていたのだろう。桂三はムエタイのジムの人間にも日本ではかなり羽振りのいい生活をしていたと言っていたと 思われる

                  そしてムエタイのコーチ達は桂三が金を持っていると考えた。そして桂三を実際桂三は100万位もっていた。桂三は日本人の知り合いには100万円位持ってきたと言っていた。そしてコーチたちは桂三をムエタイの試合にさそい途中の山の中でキャッシュカードの暗証番号を聞いてそれから殺そうと考えていたかもしれない。その証拠は手首の傷である。
                   
                  手首の傷は、日本大使館とメソット警察の説明によれば、ためらい傷 つまり自分自身でナイフで付けた傷と説明を受けたのだが、ナイフで傷を付けたわりには 傷は汚いし傷が浅い。もし手錠を掛けられてつけた傷となれば説明がつく。

                   (日本の警察関係者にいわせれば 手錠とは犯人を捕獲する目的をもっており手錠をつながれて 暴れたとしても 手に傷はつきずらい

                  と説明は受けた。)

                   実際同じことがメソットでおきている。台湾人が警察に山の中に連れられて手に手錠をかけられ持っていたキャッシュカードの暗証番号を聞き出そうとしたがしゃべらない為銃で頭を 打ち抜かれたと言う事件が実際起こっている。 ちなみにムエタイのジムとコーチは警察関係者である。それで桂三は20日の日にコーチ達と何かで揉めてか、だまされた。そして桂三は激怒し棒をもってでていった。
                  | tosiyosi | 夜明けのスキャット | 18:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                   夜明けのスキャット 35 報告書 3
                  0
                     ワイズエージェンシーに1年位勤め独立する。初めのうちは上手くいっていた。が余りに厳しい利息や取立てか何かで、仕事が手詰まり状態になっていたようだ。一部マスコミ関係者からの取材が、つきまとっていたようであり、氏と佐々木氏(桂三の元上司)が相談を受けていた。事実2002年の10月から4月まで業務停止を 半年受けた。

                     2002年の6月から10月まで 都庁の金融課の苦情は ラッキーが 一番多かった。その年の6月から9月にかけて貯金通帳を一つにまとめていた。(桂三は複数の通帳を持っていた)。6月に氏に会っている多分その時に仕事の事について相談したのだろう。その時に桂三は、氏に「カレンに必要な物があったら言ってください。」i氏は「金はあるの?」と聞いた。そして桂三は 「金なら持っています」と答えた。この時桂三は氏にピルは手に入らないかと聞いていたらしい。 (タイでは薬局にいけばどこでも買える)

                    桂三は佐々木の上司だあるAの紹介で空手道場に入会している。
                    桂三と一緒に氏の紹介ではいったのは10人位いる そのほとんどは 直ぐ辞めた が何人かは残ったその中に桂三は含まれている

                    (空手道場の責任者であるa氏の証言によると、d氏の紹介ではいってきた人達は道場ではかなり評判が悪く、人目で金融関係者とわかる格好と態度で来ていたため他の道場生からは、評判はかなり悪かったらしい)

                     桂三は タイに逃げる前空手の稽古に毎日のように行っていた 解放区に入る準備をしてた。多分桂三は捕まるのを予想したと思う。金融の仕事をやめようとしていた形跡がある。桂三は知り合いのj氏に仕事を変えるとタイに行く前証言していた

                    桂三は回りにつけていた貴金属も質に入れている。この中に前に一緒に働いていた同僚たちから 誕生日プレゼントに貰った貴金属も質に入れており回りのひんしゅくをかっている。それと持っていた幾つかの貯金通帳を一つにまとめた。

                    (桂三が持っていた遺品の中にとび職関係の資格証が何枚か あった。もしこの事が落ち着いたら日本に帰って以前やっていた鳶職に復帰を希望していたとおもわれる)

                     8月か9月桂三は勝手に会社を抜ける。そして佐々木氏から桂三の実家(岩手県盛岡市)に連絡が入る。そして実家の方から桂三が姿を消したと私の方に連絡が入った。

                    そして私は妹(桂三の妹)に佐々木の連絡先を聞いて連絡をとった。お互いに桂三が見付かったら連絡をすると約束をする。その1ヶ月後佐々木から連絡がはいり「桂三がタイに逃げるらしく その前に成田で会う」と言っていた。その時佐々木は桂三に餞別に30万位渡したらしい。その他に佐々木は100万ほど桂三に貸していたらしく佐々木は妹に桂三に貸した金を返せといわれた。
                     妹は余りにも唐突に桂三に貸した金を返せと佐々木にいわれたのでそして余りにも桂三に金を貸したという信憑性もないので正式に断った。佐々木が成田に見送りに行った時桂三は佐々木達にタイに麻薬を手にいれに行ってくるといっていたらしい。
                    そして桂三は2002年11月27日にタイに渡った。 桂三は日本を出発する前aという人物とメールのやり取りをしている。
                    内容は
                    11月26日 から 27日までで 桂三は仕事を変えたい とa氏に証言していた。そしてa氏にだけ東京を離れると伝えた
                    11月27日 f という人物からショートメールで 電話に出てください という内容のメールが届いている
                    桂三は27日にタイにわたる。そしてそのままメソットに行きに会う。
                    だが桂三はその2ヶ月前の9月にタイに1度渡っている。その時は会社を勝手抜けて東京を1ヶ月位逃げ回っていたらしい。そしてその時桂三は佐々木達にタイに渡った後連絡をして「これって俺の勝ちですよね」と連絡した。 そして佐々木は「わかったから1度戻ってきてくれ 俺たちの顔もたててくれチケット代は 払うから」と言っていたらしい。「しかしチケット代は戻ってこなかったと回りに桂三は言っていた。そして桂三はまた日本にもどってきて11月27日にまたタイに渡る。(2002年9月20日成田出国−9月23日帰国と桂三のパスポートにスタンプが押されている。)


                    参考 闇金とは?

                     闇金とは、破産手続をした人や多重債務者で、もうこれ以上サラ金等から借入ができないような人をターゲットにし、ダイレクトメールや雑誌の広告などで、低利で、無担保で、誰にでも融資するという嘘の告知をし、電話すればお金を貸してくれるという一見便利そうな貸金業者である。
                     しかし、その実体は、5万円ほど貸付、毎週、利息として1万円から2万円を支払わせるというもので、それも脅迫、恐喝の手段を用い、時には関係のない債務者の周囲の人までまきこんで支払を強要し、いつまで返済しても元金は減らないというもので、年利にすると1,000%以上というとんでもない高利の違法な金銭消費貸借である。わずかな期間に元金の10倍、20倍という金額を支払わされることになる。出資法により29.2%以上の利息は禁止されている。この規定に違反した者は刑事罰の対象となる。本来、闇金は全員逮捕されてもおかしくないのである。
                     闇金は、どうして支払能力の無い破産した者や多重債務者を狙うのかというと、闇金は、貸したお金の回収には自信がある。闇金には貸金業として登録をしている者もいるし、文字通り登録していない者もいる。闇金は、法律を守って貸金業をやっている業者とは違い、貸したお金の回収には手段を選ばない。もちろん違法な手段も使う。闇金はどうすれば債務者が支払うかよく知っている。債務者が一番困るのは、自分が返済しないことで、自分の勤めている会社や親、兄弟、知人に迷惑がかることである。人は自分のことで他の人に迷惑がかかるということを非常に苦にする。この心理を利用して、債務者の周りの人々に迷惑がかかるようにすれば債務者はお金を工面して支払うので、方々に電話するだけで回収できるのである。貸した金額の何倍も回収できるのであるから、お金に困っていてどこからも借りられない、言い換えれば、闇金からしか借りられない破産した者や多重債務者はいいお客さんなのである。
                     債務者はお金がないのにどうやって返済するのかというと、他の闇金から借りて返済するほかはないので、次々と借りて30、40の闇金から借りてしまうというケースも多々ある
                    | tosiyosi | 夜明けのスキャット | 18:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                     夜明けのスキャット  34 報告書 2
                    0
                       吉田桂三 タイに来るまでの行動

                       桂三は 上野で消費者金融の会社を 経営していた。会社の名前は「ラッキー」台東区上野7−3−9アルベルゴ上野801」と言う。3年前に消費者金融の「ワイズ エージェンシー(住所東京都台東区)と言う会社に入社した。

                       以下 WA
                      (現在ワイズエージェンシーは営業していない)
                       桂三がw,aに入社した経緯はよく分かっていない。ただ3年前に誰かの紹介で入社したらしい。その人物は3年前にタイに行く前に知り面接を受けにいき入社した。そのw,aは山口組 五菱会の影響がある。
                      メソットにいた人たちが桂三に聞いた話だと上の人間は全員捕まったらしい。

                       実際w,aの代表S氏の上司Aは現在出資法違反で逮捕されており仙台地方裁判所で斉藤啓昭裁判官は「多重債務者や自己破産者の弱みにつけ込み、利息や返済金の名目で多額の金を支払いを余儀なくさせ、貸金業に名を借りた経済的暴力ともいうべき犯行」として懲役2年、罰金200万円の(求刑懲役3年、罰金200万円)の判決を言い渡されている
                       宮城県警の調べでは、「SI」はA容疑者の配下の執行幹部、鈴木拓也容疑者(23)=同法違反容疑で既に逮捕=が5人の「集金人」を抱え、集金人がヤミ金融店舗22店を管理するピラミッド構造になっていた。他のグループと同様、顧客情報を管理する「センター」を構えていた。センターは摘発を免れる目的で短期滞在型マンションを使い、2カ月ごとに移転していた。

                       桂三は行方不明になる前岩手県盛岡市にある実家へ荷物を送っておりその中にはパソコンとラッキー関係の書類」があった。その中に貯金通帳が数冊あった。その貯金通帳の最高入金額は1千万円の入金記録があった。その1千万円の出所は分かっていない。SIとは、A容疑者が名乗っていた「○○」のイニシャルから付けていた。A容疑者は山口組系暴力団五菱会所属梶山被告が経営する経営コンサルタント会社などの元役員。【(
                       Sとは桂三の上司にあたる、ワイズエージェンシーの代表を務めていた。桂三が失踪したとき盛岡に連絡をしてきた人物である。桂三がワイズエージェンシーに入るとき面接をしたのがSだった。佐々木はSIグループの集金人のトップだった.SIグループの鈴木卓也が出資法違反で逮捕されたとき芋ズル式に佐々木も捕まった。
                      佐々木と鈴木がAの名前をだしAは出資法違反で逮捕された。佐々木と鈴木は執行猶予付きで釈放された2004年3月25日現在

                      2年前に桂三から連絡が親父の所に入る。内容は「会社を作るから保証人になってくれ」と頼まれた。だが親父は断った。理由は「私はただのサラリーマンだからもし何かあった場合保障はできない」と断った。しかし本当の理由は桂三が以前実家に帰ってきた時、仕事について語っていた、その内容は金融の違法行為と金融の裏の実態とかを語っていた。

                       それを聞いていて保証人にはなる気にはなれなかったのだろう。しかしその後桂三の上司が頼みこんできたがそれでも断った(親父の話だと30歳位の男性だったと言っていた。おそらくSだと思われる)。しかし親父は二つの保証人になってしまった。ひとつは桂三が経営するラッキーの事務所の保証人。もう一つは桂三が住んでいた東京都荒川区東日暮里3−9−である。もともと桂三は場所は東京都荒川区西日暮里1―30に住んでいたが桂三が仕事も上手くいっているからもっといい所に引っ越そうと思い東日暮里にアパートを見つけそこへ引っ越した。しかし仕事は始め順調にいっていたが経営が上手くいかなくなり家賃も払えなくなったため元のいた部屋にもどった。しかし東日暮里の部屋には金融関係が住み込んでいた。
                      (桂三が亡くなったときその部屋の保証人は親父がなっていた、その部屋に金融関係が住んでいた。桂三がなくなったためその部屋を解約しようとした、住んでいる人達に出てってくれと頼んだが始めはなかなかでってくれなかった

                      (親父いわくいつのまにか保証人になっていたらしい)。
                      (台東区上野7−3−9アルベルゴ上野このビルは闇金業者がたくさん入っている事で有名)
                      、桂三は二つ部屋を借りていた。ちなみにこの東日暮里のアパートは親父が保証人になっていたにも関わらず東日暮里のアパートの場所は知らされていなかった。佐々木はこの時の事をこう語っている。
                      (佐々木とは桂三の元上司、桂三は仕事のことは彼に相談していた.桂三に100万円貸していたらしい。が定かではない)


                       その時に何人かの人間もそのアパートに引っ越してきた。(しかし元にいた西日暮里のアパートはなぜか解約しない)。しかし佐々木は引っ越しの時桂三は金の持ち合わせがなくて佐々木達も出したらしい。(でも桂三が経営しているラッキーはその時は上手くいっていた)
                      しばらくして会社の経営も上手くいかなくなって家賃が払えなくなったから前のアパートに戻った。でもその時一緒に住んでいた金融関係の人間はそこに住んだままである。
                      (現在は東日暮里のアパ―トは解約している。)
                       桂三がタイへ逃げた時桂三が経営する事務所と西日暮里のアパートは引き払った。

                       東日暮里のアパートだけは「もし桂三が帰ってきた時住む所がなかったら困るでしょ」と大家に言われそのままにした。しかしそのアパートに金融関係者が住んだままだった。

                       私は桂三が亡くなって親父から頼まれた。桂三が亡くなっても桂三が住んでいたアパートに何人か住んでいる。そしてその私の父はアパートを解約したいから話を佐々木達としてきてくれと私に頼んだ。そして私は了解してそこからでてってくれと丁寧に佐々木達に頼んだ。そしたらすごい剣幕で断ってきた。

                      「俺たちが桂三の尻拭いをしたんだ あそこに入る敷金礼金は 俺たちが用意したし 家賃も払っている 今すぐ出て行けといわれても困る」

                      とすごい剣幕でどなった。
                      ○○の証言によると桂三が会社の金をかなりの額を使い込んだらしいという証言をもらった。額は500万とも1000万ともいわれている。金を使い込んだのを佐々木にばれ桂三は2002年の夏か秋頃ヤキをいれられた。顔を腫らしたまま桂三は浅草道場に顔をだし何人かは目撃していた。そして桂三は罰とし会社の責任者を下ろされた。その後桂三は給料30万位におとされて普通の社員に降格されたらしい。

                       しかし桂三は業務上停止を同じ時期に受けている。それと桂三がタイに逃げるとき佐々木達は成田まで見送りにいった。そして桂三に金を30万餞別で渡した。


                      私の見解は 桂三はだまされたのではないかというのが私の見解である。 良く金融関係者は事情をよく知らないスタッフに給与アップの条件を取らせ、その名義を使っていることが多く、万一摘発されたとしても捕まるのは、社員のみ社長までは手が回らないように工夫をしている。多分あの部屋は闇金関係の寮になっていたのだろう。桂三はその事で金融関係と揉めたのだろう。桂三は身の回りを整理しタイに逃げた
                      金融業をやる前、桂三はタイとミャンマーの国境沿いにあるまちメソットにいた 


                      。そこにKNU(カレン民族同盟)の解放区がある、そこにいた。(桂三は 高部正樹という人の本を 読んでKNUを知った。桂三はその本を読んで多分えらく感動したのだろう。本当にメソットに渡った。メソットに到着し桂三はどこかに連絡を取ろうとして、電話をかけようとするが 電話のかけかた」が分からなく(タイの公衆電話は中々つながらない 後いまいちかけかたがわからない)その辺にいる人に電話のかけ方を聞いた。なぜかその人は 桂三をB氏の所へ連れてきた。そして桂三は白倉氏に どうやったら 解放区に入れるのかときいた(まま)そしてカレン解放戦線に参加していたことがあるD氏を 紹介してもらい東京で会う。D氏の桂三に会った印象は 気の弱いはっきりしない印象だった。そしてカレンの解放区に2000年頃始めて はいる。

                       その後日本に帰りw,aに入社した。その時のw,aの面接の時解放区で撮った写真を履歴書代わりにもっていったらしい。写真の内容は銃を持っている写真とかボーミャ(KNU元最高責任者)と一緒に写っている写真である。面接にそれをもっていって元傭兵という肩書きで面接を受けたと思われる。そしてw,aに入社する。その会社は○○組 ○○組の影響がある会社と言われている語っていた

                      (Iとは、以前桂三が一緒に働いていた仲間である。桂三が東京で1番仲が良い友達だった。現在高田馬場にある富永建設在籍6年くらい前まで桂三もその会社にいた。富永建設とは鳶土工の会社である)

                      | tosiyosi | 夜明けのスキャット | 18:42 | comments(1) | trackbacks(0) | - |
                      夜明けのスキャット 33 報告書 1
                      0
                         吉田桂三事件(以下kzとする)           書 吉田 俊英 
                        この文書の内容は、私吉田俊英本人が、調べた内容であり、本人が作成したものである。
                        吉田俊英が、吉田桂三に実際接触していた人物から証言を集め作成したものである。2003年9月10日自宅
                         
                        2003年2月20日朝9:00タイ ターク県メソット郡メーパ町 メーソットから車で10分弱徒歩1時間以上の国道脇(道から少し外れたところ)でちかくの工場勤務のカレン人が 小さな水路内で 首吊り死体を発見し 知り合いのタイ人に報告しそのタイ人が メソット警察に通報する。
                         連絡を受けた警察は 現場に駆けつけ殺人事件として捜査を始める。このことは 新聞にもテレビにも報じられている。持っていた所持品の中にパスポートが入っており岩手県出身吉田桂三と断定された。が時間が経つにつれ自殺に切り替わり日本大使館には桂三が自殺したと言う報告をした。

                         桂三が亡くなる1ヶ月前一人の日本人男性が遺体で発見された.死因は首吊り自殺である。それに連鎖をして自ら命を絶った。と報告した。

                         遺書は発見されてない。

                        午前中まで桂三の書類は在ったらしいが午後には桂三関係の書類が無くなっていた。何人かの人が探したが結局見付からなかったという情報がA氏からあった。

                        (この情報元をA氏に問い合わせた所その人タイ在住者なので聞かないでほしいと断られた。私の予想だとB氏と思われる。B氏は元傭兵の作家である。)

                        桂三の遺体はすぐに警察に送られた。(普通は 一般の病院に送られるらしい)Z氏の話だと警察が調べていくうちに身内(警察)の犯行と分かったので自殺に切り替えたと推測される。

                        その日にカレン人のT氏が事情聴取に呼ばれたがそれを彼は断った。理由は仲間を殺すはずないだろうという理由らしい。多分もし彼が事情聴取に行ったら彼のせいにしたと言われている。ちなみに桂三が発見された場所はメソット在住10年のC氏も知らない。

                        (
                         桂三はタイにきた目的はカレン民族同盟(KNLA以下)に入るためでA氏の伝でバンコク在住のDを頼った。がDはこのことを聞いてなかったらしく)Dは断った。


                        そこで桂三と押し問答となる。D氏も断る理由があった。 以前桂三は解放区にD H JとKNUの解放区に 入っている。

                        (
                        そのときの桂三の印象が悪かった。桂三のカレンに入る目的は日本でヤクザまたは金融をやる為はくをつけるためにやってきたらしい(H証言)
                        Hが銃の撃ち方を教えようとしても桂三は拒んだ。その他色々な失敗をして、KNLAからは使えない日本人と認識された。そういう理由でDはことわり「前にも1度カレンの解放区にはいているから中への入る方法方法もわかるだろう もういい大人なんだから今度は自分でやってみろ」と断った。
                         しかたなく桂三は日本にいるA氏にもう1度連絡をとりカレン第7地区J氏を紹介してもらった。そして桂三はカレン族の解放区に3年ぶりに2003年1月10日位に山にはいった。その前に一人の警官が桂三に接触している。桂三を「タークでムエタイの試合があるからいかないか」と誘ってきたらしい。だが実際待ち合わせに行ってみると「今日ムエタイの試合は、なかった」と言っていかなかった。

                        その警官とはムエタイのコーチらしい。そして1週間位解放区ですごしてから出てきた。そして解放区から出てきた桂三の口癖は「山に入りたい」。と言っていたらしい.
                        桂三のメソットでの行動はムエタイの練習、後はLかZと酒を飲んでいた。

                         (Z氏とは兵庫県出身フランス外人部隊に5ヶ月所属した経験がある。しかし回りの証言によると嘘だといわれている。理由はかなりいいかげんな人物で彼の言うことはあまり信用ができないというのがメソットに来ている日本人では定説らしい。2004年まで神奈川県川崎市にある工場に住み込みで働いていたが現在はやめており行方はわかってない。H氏の証言によると家庭のいざこざで何か問題がある状態で連絡がとれない)
                        ZはメソットにKNUのキャンプに入るためにきた。目的は,KNUの独立民族紛争に参加するためである。

                         彼も桂三同様B氏の本を読んで彼の本に共感をよんでメソットに来た。KL氏とは毎年乾季11月から2月までタイで過しておりミャンマー人と結婚しており現在一人の子供がいる.

                        話に聞くとタイ人と3人で食事している所を目撃されている。自称日本人という人が桂三に接触をしていた。その自称日本人はどうみてもタイ人らしいL)氏の家の下で桂三と話をしていた。

                         L氏がそれを見て「あの人誰?」と聞くが、桂三は答えなかった。
                        これを見てL氏は「あぶないから 変なヤツとは関わらないほうがいいよ」と忠告をしていた。回りの話だと桂三はタイ語も英語もだめだったらしいが少しはしゃべれたのだろう。ムエタイでは スパーリングは するレベルではなかった。せいぜいサンドバックを叩くくらいだった。

                        昨年末頃タイの警察が桂三を探しているとの情報がカレン軍からあった。なぜ探しているかとの理由は 麻薬に関連してのことだった(A氏証言)

                        桂三は3日か4日おきに金を5000バーツずつ下ろしていた,メソットの物価を考えるとこれはおろしすぎである。メソットの1ヶ月の給料はだいたい1000バーツから3000バーツ位らしい。L氏によるとけいぞうは地元の人間にたかられていたらしい。

                        桂三は回りの人間になめられないように 「日本でヤクザをしていた」といい「今回は100万位日本から持ってきた」と回りの人間にいっていたらしい。 

                        (5000バーツの使い道として女がいたという証言もある。理由は他に5000バーツという大金の使い道は無いからだ
                        所持品の中に女と一緒に写った写真があったらしいがなくなっている。警察の証拠写真の中に女の写真があったが私の目の前で抜かれた)



                        桂三はあちこちで揉め事を起こしていたらしい。日本人とも揉めていた、相手ははL氏だ。喧嘩の理由は以前桂三がフランス外人部隊に面接に受けたことがある。そこで桂三は面接に落ちる。理由はフランス語が喋れなかった為である。Lはフランス外人部隊に5ヶ月ほど入隊してたことがある。桂三とLは何かのきっかけで口論になった、

                         そしてZは桂三に「外人部隊落ちたくせに」と一言行ったらしい、桂三はそれを聞いて激怒した、二人は3回喧嘩をした。桂三がかなりしつこかったらしい。あまりにもみかげて、Mは、桂三に、「日本人の評判が悪くなるからいいかげんにしてくれ」といったらしい。

                         この二人は、はじめは仲がよかったらしい。桂三ははじめ Zの家に とまっていた(1,2週間)しかし一緒にすんで3日目で喧嘩をしていた。
                        桂三は 通っていたジムとも揉めていた。そして桂三は 評判が悪くなりだした。(しかしl氏の話だと揉め事はZ氏としかしてないらしい)そして桂三が死ぬ3,4日前に、またコーチが「今度チェンマイで試合があるから見に行こう」と誘った。

                        19日桂三は 日本にいる友人に電話をしている。一人は金融関係で話の内容は「ムエタイを習っている。こっちはものすごく楽しい 毎日が楽しい」と言う内容だ。その人いわくとても死ぬそぶりでは 無かったらしい。もう一人は A氏である。内容は「24日に山に入る」と言う内容だった。あと桂三がどこかにかなり長い間メールを打っていたのをK氏が目撃している。
                        桂三が泊まっていたゲストハウスの責任者によると桂三は19日に顔にたくさんの傷を作って帰ってきた。そのあと桂三は棒を持ってでていった

                        (k氏とはメソットとミャンマーの国境沿いにある難民病院で1年間働いていた外科医、彼もBの本に影響されメソットにきた。難民病院ではボランテアで働いていた。

                        その日の午前中ムエタイの練習を 1時間位している(am10:00からam11:00くらいまで)この日に浜辺氏と飲み屋で殴りあいの喧嘩をしている。それにみかげたL氏は日本人の評判を落とすような事はやめてくれと桂三を諭すようにいった。

                         20日 pm1:00頃 桂三は パオ―病院に行った。風邪薬と食道炎の薬を処方してもらっていたと聞いている
                        ( A氏の情報によると精紳安定剤を処方したらしい。)
                        桂三はこの日カナリの興奮状態だった。ゲストハウスにもどってきた桂三は出たり入ったり(ゲストハウス)をして 誰かと喧嘩したらしく
                        {ぶっころしてやる}
                         と言って 興奮しながら棒を持って出て行った。桂三はその時腕にケガをしていた.その日は帰ってこなかった。

                        「ゲストハウスの責任者によると桂三が興奮して出て行ったのは死ぬ2日前と証言した。桂三はでていったのは19日らしい。」

                        その日の午後3時頃バイクタクシーの運転手が、桂三らしい日本人が国道を,死体発見現場に歩いて行ったのを、目撃したらしい


                        (この証言は今までの桂三を,照らしあわせるとつじつまが、あわない。実際L氏が警察に事情聴取に呼ばれたとき、このバイクタクシーの運転手もよばれたらしく、そのバイク運転手が警察に到着すると一人の警官が、これで自殺と証明されるといっていたらしい)

                        21日朝遺体で発見される。

                        その日の夜自分の所に 親父から連絡が入り「桂三がタイで自殺した 遺骨を引き取りに行ってくれ」と頼まれた
                        | tosiyosi | 夜明けのスキャット | 18:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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